先日築地へ行った際に見かけた切り石
汐留遺跡について調べていたら
多摩市に古代遺跡に関する施設があることを
知り、面白そうだなと思って行ってみました。
場所は京王線・小田急線の
多摩センター駅から歩いて5分。
地図を見たら改札(東口と中央口)を出て
線路沿いに歩くとすぐで
場所は確かに近いのですが、
京王線、小田急線の出口があちこちにあり、
ショッピングセンターもいくつかあって
橋で繋がっているので
どこから降りれば良いのか
場所が分かりづらい😅
またまた迷いながら道路に出て
少し歩くと、道路沿いには
案内標識が出ていて辿り着けました😀
埋蔵文化財センターTOP | 公益財団法人 東京都スポーツ文化事業団
ここの街は歩いていると
あちこちに仔猫のキャラが😸


帰り道に遊園地のような施設が
遠くに見えて、よく見ると
サンリオピューロランドでした👀
サンリオさんと自治体の協賛?
子供向けのマンホールを見つける
スタンプラリーもやっていて
自治体も頑張っているようでした✊
私が向かった古代遺跡施設
「東京都埋蔵文化財センター」の位置も
このピューロランドの並びにあります😁
ここは縄文時代から江戸時代までの
展示物と主に縄文時代の文化の
体験コーナーなどがありました。
多摩では縄文時代の住居跡や
獲物を獲るための落とし穴が見つかり
縄文時代の集落があったことが
分かったようです🧐




今から32,000年前の後期旧石器時代の遺跡で
ナウマンゾウやオオツノシカなどを
捕獲していたらしいのですが、
ナウマンゾウ?🦣
マンモス?ほぉえ〜😵と
調べるとやはり2m以上のゾウ😲
長野の野尻湖近くに博物館もありました😵
野尻湖周辺でナウマンゾウの遺跡が多数
発掘されて博物館が出来たようですが、
ここ以外でも瀬戸内海🌊や千葉県印旛沼
北海道や神奈川の藤沢市、東京の日本橋浜町😲
でも遺跡が見つかったようでした。
古代の人は逞しい💪🏽
その後2万年前に気候が暖かくな里、
石器などを作り始めて
15,000年前の出土品から土器が見つかり、
これまで焼け石を使っていたものから
調理方法の進化が見られたようです😀




上の写真右、土器の上部の窪みは
棒を乗せたり出来そう🧐
下の写真は体験コーナーです😀
粘土に模様を付けるのですが、
結構力を入れないと模様が付かなかった😅
貝殻も端のヘリ部分を使って
楕円模様を描いたり、
すごく工夫して使っていたのが
やって見るとよく分かりました😀
更に大きな落とし穴を作って
竹を縦に埋め込んでおいて
落ちたシカやイノシシが逃げられないよう
工夫したりしていたようでした😵
石のすり鉢と固い石で
砕いた石の鋭い部分を使って
斧やナイフを作り、船を使って
魚も獲っていたようでした🤔


この火を起こす器具は
紐をクルクルっと巻いてから
横になった棒を上下にプッシュすると
面白い位に縦軸が回り、
巻かずに押してもビクともしない😆
今は分かっているから当然ですが
当時これを作り始めた人
今ならノーベル賞じゃない?と
動かしてみて大いに感心しました🤔
更に時代が進んで4,000年前位になると
祭り事に使ったと思われる器具が見つかり、
更に土器のデザインも高台や蓋が付いたり
黒曜石や翡翠も見つかってきたようです。


この黒曜石などは新潟や長野で採れるもので
つまりは多摩から長野や新潟まで
人が行き来していたことが分かる🤔
昔は武蔵野と相模野地域を
多摩丘陵という高い丘が隔てていて
一時期人の動きが丘を越えられず
ここで止まっていたそうですが、
やはりこの丘陵に足を踏み入れて
行く人もいたようです🤩
彼らは離れた場所のモノや情報をもたらし、
また別の場所へ伝える役割をしたことが
出土した黒曜石や翡翠から分かるのでした😃
そのルートは新潟の糸魚川から
諏訪湖を経由して、
関東各地へと至ったようです😲
すでに行商人のような役割が
始まったのだと思いました☺️
行商人は冒険者でもあったのですね😃
それにこのアクセサリー
持ってみると石なので当然重い😬
かなり重いものをおしゃれとして
身に付けていたのを考えると
皆かなりがっしり体型だったのでは?
と思ったのでした🤔
大型の動物を獲っていたのも納得🙄


施設の外には広い敷地に
縄文の村の復元があります😊






この他湧き水の跡もあり、
小さな谷から水が出るところに
湧き水をためる水場も作って
利用していたようです😊
当時はどんなに日照りが続いても
枯れることは無かったそうです👍
多分、学校の授業などで
見学会をしたりするのでしょうが、
古代の人に沢山のことを学べる場所で
楽しかったです🤗